Sep 04, 2010
東京の母にプレゼント
海を渡って北海道に嫁いだ私。 12月、東京の息子を連れて帰郷する。東京の母へのプレゼントは、息子と会う必要があります。年に一度、東京に帰ってすれば良い方だ。母は孫に会うのを楽しみにしている。家が遠いためにすぐに行くわけでもなくどのような行事の時になってしまう。東京の母へのプレゼント孫の成長を喜んでくれるのだ。子供のコスプレはかわいい。人形の仮想コスチューム、様々なものがある。 2歳の息子のコスプレ見ていて飽きない。多くの写真を撮って記念に残す。息子は戦隊水のコスプレを着て気分だ。子供ならそのまま外を歩いてもかわいいです。 2歳の息子のコスプレ"うちの子一番"と思って買ってランエ親バカか。今後も新たなコスプレが出ると子供に着せよです。
その日のJRの決断は、地震よりひどいものであった。
3月11日の午後2時46分の地震発生後、真っ先に「本日運休」を決め込んだのは、JR東日本であった。その発表は、確か、同日の午後7時か8時頃であったと記憶する。
都心のほぼすべての私鉄や地下鉄が地震後運行を再開したにもかかわらず、地震当日のJRはその一部さえも再開しなかった。
大都市は、その一部の機能を失うだけで、あっけなく全体機能を失ってしまうことがある。その日は、帰宅難民というより鉄道難民であった。何時間か歩いて帰宅できる距離に住む人はまだしも、多くの男女が避難協力を申し出たオフィスビルのロビーや地下道で寒い夜を明かすこととなった。
なぜ山手線だけでも動かさなかったのか。都市の機能を担う他の私鉄は、それなりに貢献した。偉いものである。大都会に取り残された人たちのために、翌朝まで運行して輸送という使命を全うした。
わたしは、午前3時ごろに地下鉄半蔵門線と東急田園都市線で、大手町から駒沢大学駅までを利用したが、その頃にはまったく混んでいなかった。降車駅で「何分間隔で運転していますか」と駅員に聞いたところ、「5〜7分間隔です。ご迷惑をおかけしております」との心温まる答えであった。
他方、JRは東京のど真ん中の最重要路線である山手線だけでもなぜ動かさなかったのか。安全運行は鉄道の基本であるが、有事の際にも早急に路線点検ができるぐらいの体制はあるのだろうに。路線点検で重大な欠陥があれば、そう発表すればよい。山手線を動かすことでどれだけの人の移動に貢献できたか。安全性を優先するという名目だけであったとすれば、社会的責任について大いに疑問が残る。
当日、わたしは丸の内のある会社で缶詰になっていたので、結果、仲間10人近くと会議室でテレビ報道を地震直後から翌早朝3時近くまで事細かに見ることになった。
「今日は運転を行わない」とのJR東日本の早々の発表に対して「エエッ?」という声が上がったが、「いや、今日は運休と言ったのであり、夜中12時を過ぎて明日になれば、なんらかの対策を打ち出すのだろう」という好意的な意見もあった。しかし、それは現実にはならなかった。それどころか、翌日になっても、再開はずいぶん遅かった。
●企業の意思決定
企業は、多くの場合、不確定要素やジレンマ抱えた中で意思決定を行うのが常である。必ずこうなるということが分かっているのなら、単なる遂行であり、意思決定とは言わない。
確かに、決断にはリスクを伴う。その時点であるだけの情報を集め、リスクの大きさを推測し、メリットとデメリットなどを比較し、最終的に誰かが決断しなければならない。
また、自分の保身のみが大切という意思決定ではいけない。その反対の企業としての責務も考えに入れなければいけない。
決めないこと、すなわち先送りすることは、容易である。多くの場合、失敗したくないという保身からくる。当たり前ではあるが、決めればよくも悪くも結果がでるからだ。
極端に言うと、平時のリーダーは誰でもできる。非常時こそ本当のリーダーの出番である。冷静沈着でいなければいけないが、同時に事の重要性や社会的意義も考え、大胆な意思決定を下す必要がある。
わたしは、国鉄からJRになって、従業員のサービスが驚くほど良くなったと評価していたが、今回の情けない姿に大変落胆した。重要事項の意思決定など本質は国鉄時代と何も変わっていないのだろうか。
●「覚悟に勝る決断なし」
さて、決断についても「坂の上の雲」から学ぶことができる。
1898年(明治31年)、日露戦争を目前に、日本海軍はひとつの岐路に立たされていた。
近代化を急ぐ日本は朝鮮半島を自国の勢力下に置くことを望み、1895年、日清戦争に勝利することで中国の朝鮮半島への影響力を排除した。しかし、ロシア、フランス、ドイツからのいわゆる三国干渉によって阻まれる。
その後、ロシアは1900年清国で起きた義和団事変の混乱に乗じ、満州に進出した。不凍港を求めて南下を図るロシアが日本の緊張を高めていた。
そんな中、海軍では軍備を増強するために、主力艦(戦艦三笠)を買うか否かという意思決定をしなければいけなかった。日本海軍は主力戦艦をイギリスに発注したいのだが、予算がすでに尽きていた。
結局、戦艦三笠は当時の海軍大臣山本権兵衛と内務大臣西郷従道の決断で生まれた。
「それは山本サン、買わねばいけません。だから、予算を流用するのです。むろん、違憲です。しかしもし議会に追及されてゆるしてくれなんだら、ああたと私とふたり二重橋の前まで出かけて行って腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です」三笠は、この西郷の決断でできた。
(『坂の上の雲』司馬遼太郎、文春文庫、3巻64頁)
まさにトップの決断である。間違ったら自分が責任を取るという覚悟ができているから決断ができるのである。
社長の仕事は決断することであるといわれるように、大きな決断はトップがしなければならない。われわれの周りにも小さな覚悟を持って決断すべきことがたくさんあるのではないだろうか。
【古川 裕倫】
(ITmedia エグゼクティブ)
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