Mar 28, 2011

東京の母にプレゼント

海を渡って北海道に嫁いだ私。 12月、東京の息子を連れて帰郷する。東京の母へのプレゼントは、息子と会う必要があります。年に一度、東京に帰ってすれば良い方だ。母は孫に会うのを楽しみにしている。家が遠いためにすぐに行くわけでもなくどのような行事の時になってしまう。東京の母へのプレゼント孫の成長を喜んでくれるのだ。
コスプレ好きな人はその人に一時的に変身することができるというもので、変身願望のコスプレをしているようだ。そのため、コスプレしている人も多いので、インターネットショッピングモールだけでなく、実際には専門店もできたほどだ。特に、人に見せても自分だと、検出されないので、思い切り風を除去、ストレス解消ということもあるようだ。
 ◇オープン戦 日本ハム3―1ヤクルト(2011年3月2日 札幌ドーム)

 日本ハムのドラフト1位斎藤佑樹投手(22=早大)はヤクルト戦(札幌ドーム)に5回から救援登板し、2回1安打無失点と上々の本拠地デビューを飾った。

 これまでとは明らかに違った。本拠地デビュー戦で2回1安打無失点。ファンの大歓声を浴びた日本ハム・斎藤の表情は、確かな手応えを感じ取ったものだった。

 「きょうは抑えたい気持ちがありました。今までも外角低めを練習してきたので、あの場面もそこを意識していた」

 早大の先輩を仕留めてピンチをしのいだ場面だ。6回1死二塁で青木をツーシームで遊ゴロに打ち取ると、続く田中はこの日最速の144キロ直球で二ゴロとした。

 2月中は直球だけにこだわっていたが、この試合からアマチュア時代に得意としたスライダーを解禁した。開幕まで1カ月を切り、実戦を意識したものだが「基本は真っすぐ」の姿勢は変わらない。2月13日の韓国サムスン戦が最速139キロ、同26日のロッテ戦で142キロ。そしてこの試合が144キロ。「沖縄の頃より良くなっている」と話す直球を外角低めへ丁寧に集めた。

 実戦3試合で計4回を2安打無失点。150キロを越える剛球があるわけではない斎藤にとって、外角低めへの制球は生命線だ。代わったばかりの5回、先頭の畠山にわずかに高めに浮いた直球を中堅へ痛烈にはじき返された。「正直、本塁打かと思った」という大飛球は、背走した中堅・糸井がフェンスに体をぶつけながら好捕。外角でも高めに浮けば痛打されることをインプットした。「どこにどんな球を投げると、打者がどんな打球を打つか分かってきました。だいぶ勉強できています」。打たれて学ぶ。これこそが斎藤が求めていたことだった。

 「いろんなことを試しながら0点に抑えたね」と梨田監督。次回登板は中3日で巨人戦(札幌ドーム)。中継ぎで3回を投げる予定だ。そして13日の横浜戦(横浜)では待望の初先発マウンドに立つ。「直球にこだわる」「外角への制球」「変化球を解禁」。自らの引き出しを一つずつ開けながら課題をクリアする右腕は、開幕に向かって一歩ずつ近づいている。

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 ビザ更新のためキャンプ参加が遅れていたブレーブスの招待選手の川上が2日(日本時間3日未明)、チームに合流。3年目のキャンプをスタートさせた。

 練習前にはフレディ・ゴンザレス新監督にあいさつ。同僚とも再会し「小学校を長いこと病気で休み、久しぶりに戻ってきた気分」。日本でも自主トレでブルペン投球などを継続。40人枠から外れトレード要員となっているが「もっとやれる気持ちがある」とチームは問わず、大リーグでのプレーを強く希望した。

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 前立腺がんのため米ハワイ州ホノルルで2月28日(日本時間1日)に死去した、元中日監督の与那嶺(よなみね)要氏(享年85)を悼み、東京ドームで行われたオープン戦、巨人―西武戦の試合前に黙とうがささげられた。

 1951年から62年までの現役時代は巨人、中日でプレーし、引退後は中日監督を6年間務めた与那嶺氏の姿がバックスクリーンに映し出された。その後、ベンチ前に整列していた両軍ナインが黙とう。巨人で3度、首位打者を獲得した偉大なOBの訃報に東京ドームにも沈痛な雰囲気が漂った。

 また、葬儀は5日(日本時間6日)に故郷である米ハワイ州ホノルルで、喪主を長男ポール氏が務めて行われることが決定。日本では東京都内でお別れの会が後日、行われる予定となっている。

 ≪川上氏も「寂しい」≫元巨人監督の川上哲治氏が、与那嶺氏の死去について「寂しい気持ちでいっぱいです」とのコメントを発表した。与那嶺氏は51年に巨人入団。当時のことをよく覚えているという川上氏は「とにかく足が速かった。速いだけでなく、見たこともないような頭を使った走塁術が凄かった」と振り返った。「当時の日本の野球は、ただ打って、投げる、という単純な野球。そこに彼が米国の進んだ野球を持ち込んできた。近代野球への目を開かせてくれたという意味で、大きな貢献だった」と功績を称えた。

 ≪星野監督も「残念」≫与那嶺氏の訃報から一夜明け、楽天・星野監督はあらためて無念の思いを口にした。前日に続いてKスタ宮城の全体練習に参加。ウオーミングアップ中にベンチに腰をかけると「5年くらい前から前立腺がんを患っていたと聞いていた。転移してしまったのかな。本当に残念だよね」と惜しんだ。1974年には与那嶺監督の下、中日のエースとしてチームをリーグ優勝に導いた。15勝9敗10セーブの好成績で、セ・リーグ初の最多セーブ投手にも選出され「あの頃は先発も抑えもなかった。大事な試合は、いつでも投げられるように準備していたよ」と恩師との思い出を懐かしんだ。

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